そして、春

コンサート

3月22日。あの日から、2年。

今日は私の母校、京都堀川音楽高校の卒業演奏会でした。
絶対に来て!と言われ、エキストラとしてオーケストラのお手伝いをしてきました。

2年前、私にしがみついて泣いていた子たちが、見送られる側へ。
泣き姿も大人になって、おなじようにしがみつく後輩たちを撫で、微笑みながら泣いていた。
そんなふうに大人になる過程で、いったいどれだけ涙を飲み込み、苦しい時間を越えたのだろう。
そう思うと、自然と目の奥が熱くなりました。

私は在学中の卒業演奏会で泣かなかったことがなく(リハーサル前や本番前日の練習から泣いていました笑)、今回も卒業する当人たちを差し置いて泣く気満々だったのですが。

結局最後まで泣かず、大泣きする後輩たちをみて、えらいねよくがんばったね、つらいこともたくさんあったのだろうけど、それでも楽しくて愛おしい思い出がたくさんあって、この場所にいつまでもいたいから、泣いているんだよね と涙よりも微笑みがこぼれてしまいました。

私も、そうだったから。

高校生なんていちばん、あまり好きな言葉ではないですが、多感な時期。
いい思い出ばっかりじゃなくて、音楽をやりに来たはずなのに音楽以外のことに心を削られて。
私も、学校に行きたくなくて大阪から京都まで各駅停車で行ったこともありました。
泣きながら途中で帰ったこともありました。
それでも、学校のことは嫌いになれなかった。
校舎も演奏会をした大ホールも、踏み入れるだけで思い出が鮮明に蘇る。
いい思い出も辛い思い出も、ぜんぶひっくるめて懐かしい。
戻りたい、とはまたちがう、言葉にできない想いが常に心にあります。

今回堀音のホールで練習に参加させていただいて、ふと見下ろしたときに自分が履いているのが制服のスカートじゃないことに悲しくなりました。
先生たちに、「今日はよろしくお願いします」と言われたことも。
どれだけ昔に戻ったようでも、いくらあの頃と同じ景色でも、もう戻れない。
戻れないけれど、あの校舎と先生たちはいつ行っても歓迎してくれて、元気か、楽しいか、と聞いてくれて、よくがんばってるね と背を叩いてくれる。
友人たちと示し合わせて遊びに行って、昔のように暴れ回って。
先生たちは、「好きなだけ暴れていき」と言ってくれます。
なんてあたたかい場所なんだろう。

たった、3年間。されど、人生で最も濃く青い3年間。
教室や廊下やトイレなんかも、見るだけで蘇るのは、楽しい思い出。
今日卒業した彼女たちも、きっとこの場所が大好きで。
卒業してもずっと堀音生でいさせてくれる、”堀音”という場所が、私はいまでも大好きです。

↑大好きな島田先生と、門下生で。

今日、東京では桜が開花したそうです。
京都にも、暖かい春の風が吹いていました。

願わくば、みんなの未来が明るくありますように。
彼女たちの進む道が、紛れもなく正解であるといえるほどに、輝かしいものになりますように。

私も頑張らなきゃな

では!

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